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かぐや姫のなじらね_2007













full story
こはなでふ事のたまうぞ…「これはまあ、なんということを仰るのですか」という表現が、かぐや姫伝説の中にあるそうで、この「なでふ」は「なじょう」と発音するそうな。その意味は「どんな…」で、この「なじょう」が新潟弁つまり長岡弁では「なじょも」になり、そうすると「なじらね」の「なじ」は「どう?」になるという…

うう〜ん、そうだったのか、ひょっとして「なじらね」って「How are you?」かな、なんて思ってたけど、まさしくその通りだと、この原稿書いたかたは話してる。さらに長岡弁のシンボルとも言える「だら変化」に、最後の「ね」は相手を気遣うときの「ね」で「なじらね」だと分析してるんだが、「ら」についてはいまいち説得力ないような気がすっけど、んなこたどうでもいいよ、へえ「なじ」だけで完全に納得した、なじらねはかぐや姫言葉なんだ、へえそう決めたっ…決めんのはいいけどな、もっともっと新潟弁で書きたいよお〜

こん原稿は3年めえにちょうど新潟弁に興味持ちはじめた頃にアップしたがんをりらいとしたものですぃて。そもそもなして新潟弁に興味もったかっていやあ、そん頃こんblogによおきてくらっしゃってた三条市のおなごしょがぺろっと「なじらね」ってゆうたことに端を発したわけですぃね。おらてっきりそん時にゃあ「なじらね」ってロシア語の影響受けてがろっかね?なんぞと思いこんでたらろも、やいやとんでもねぇ、そん語源はれっきとした純日本語、しかも日本最古の物語「竹取物語」にあったいやぁ、はーんねたんまげたて。いくら知らねぇがんとはいえばぁかしょおしぃの、こっつらがん新潟弁、いんや日本語への冒涜らいね。


なじらね考察
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2007.10.25 Thursday はる permalink comments(5) trackbacks(0)
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シスコ @ 2007/10/26 6:26 PM
かぐや姫も「なじょもなじょも」ゆうてたがかのし??
はてな、おもっしぇのし〜〜、そんげの昔にルーツがあるとなると新潟弁てや
どっからどう成り立ったがか、また調べがいがありそげらのし!
いどのはる @ 2007/10/26 9:34 PM
はーんね、シスコさはおんもしぇんが言いなさるて、笑うて。

結局の、新潟弁も江戸弁も津軽弁も元を辿ればひとつってがんらいね?
そりゃそうらねっかね、日本は単一民族だすけ、そんげがん当然らいね。
らろも地域によって、そんつらんが微妙に転訛するっけ、ややっこしくなるこてさ。
ほいたって、語源おっかけんがばぁああか愉しいて、興味が尽きないの。


なじらね @ 2007/11/12 8:51 PM
作者らども。(笑)
「なじらね」はたぶん荘園時代(800年前後)から平家の終焉(1200年前後)に
荘園時代らけば伝令や荷物の行き来等により、平家終焉時らけば落人と共に
京都から持ち込まれたがねぇろか。
古来、京都文化が入ってきてそのまま残った部分もこってあらいの。
稲荷文化及び稲荷姓、五箇山なんかもそっらこって。
徳川の時代になっと、三河弁がいっぺこと入り込んだがいの。
「おめさん」とか「ぶちゃる」なんかがそれらて。
だすけ、長岡弁てば時代変遷があるろも、
平安言葉+三河弁+付近の日本海語が一緒くたになってるゆうのが
いっちゃん簡単に説明しゅぅ方法らねぇろか。

春 @ 2007/11/13 6:42 AM
おっこ ! なじらねさ、きてくらっしゃったがけ !

ほんーーに、ようきてくらっしゃったの、こってっぺ嬉しいですぃね、ありがとございますぃね。
挨拶もしねえで勝手に「かぐや姫」引用させてもろて、はーんね申し訳ねえですて、かんべね。

京言葉は秋田弁なんねにも残ってると聞くんだんが、そんげがんも長岡経由で伝わったんがらろか ?
日本海語てば初めて耳にするらろも、そんげみっつん中でやっぱ三河弁がいっち濃いんらんだ ?
なんね、質問ばっかでわぁりぃですて、申し訳ねぇですて、なじらねさ。

こんげやしくっせとこらろも、よければまたきてくらっしぇえて、なじらねさ。
これからも、よろしくお願いしますぃて。
なじらね @ 2007/11/15 4:37 PM
京言葉ってより平安文化は平家落人が運んだがらねろか。
代表は稲荷信仰。だっけ、昔っからの稲荷があれば、平安文化もあるこって。
三河弁が強いがは、堀氏当時の長岡藩に牧野氏が変わって入封してきた際、
正確には資料紛失らけども、何割と言っても良いほどの
家臣団+関係者を前任地の長峰や大胡から引き連れての入封らったし、
牛久保から大胡に入封したときにも相当数の引っ越しがあったそうら。
以後、長岡藩は牛久保の壁書き(有名なのが「常在戦場」)を規範にしての
藩政をひいたすけ、自然と三河弁が強くなったがらねろか。

例えば、「ぶちゃる」は三河でも大胡(小諸・高崎含む)でも上越でも言う
「見せて」を「見して」というがは、上越では言うろも、大胡、三河では言わね。

「新潟弁でがっつりコメント書きこんでくんなせやぁ」










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